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「明智寄席」友の会

6月19日(木)

facebookで書いた廬山寺の事を少し追記します。

場所は右図のように京都御所に隣接しています。平安時代には紫式部が住んでいた邸宅だったそうですが、いつのころからか廬山寺に成ったようです。

​以下、ネット情報を転載して紹介に変えます。

【織田信長・明智光秀・正親町天皇:延暦寺焼き討ちと廬山寺の関係】

廬山寺は延暦寺とおなじ天台宗ながら、焼き討ちは免れています。

それは今回の非公開文化財の展示にもあった「正親町天皇宸翰女房奉書」により助かったのです。正親町天皇が女房風に仮名交じり文で、「廬山寺は延暦寺とは違い戒律に厳しいお寺であるから焼き討ちには該当せず」と訴えられました。普段の正式な決まり事は漢文で書かれるのにくらべ、仮名交じり文で女房が書いたように装われたのは、非公式な感じにすることで「角を立てず信長へのふんわりとしたお願いにした」のだということでした。

信長が廬山寺への焼き討ちを明智光秀に命令したのですが、正親町天皇がこれを書かれたおかげで事なきを得ました。その後、明智光秀はこちらに自分の念持仏を納めているところを見ると、廬山寺と明智光秀の間には何らかの関係があり、廬山寺が救われるよう動いたのでは、と思いたくなりますね。

【廬山寺明智光秀【念持佛と廬山寺展】

廬山寺明智光秀の念持佛と廬山寺展では通常非公開である明智光秀の念持仏(地蔵菩薩坐像・不動明王立像・毘沙門天立像)・正親町天皇女房奉書(重要文化財)などが一般公開されます。なお廬山寺には白砂と苔の庭である源氏庭(本堂庭園)があり、桔梗が6月下旬頃から9月上旬頃まで花が咲きます。
念持仏は岩窟を表現した厨子の中に安置され、中央の像高約20センチの地蔵菩薩坐像は取り外すことができ、明智光秀は戦中に陣中へ持ち出し、陣仏として自軍の守り本尊としたと言われています。
正親町天皇女房奉書(正親町天皇宸翰女房奉書)は1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際、廬山寺が延暦寺と本末関係になく、天皇の勅願所であることを伝え、廬山寺は焼き討ちを免れました。
明智光秀は1528年(享禄元年)に清和源氏の美濃・土岐氏(ときし)支流・明智氏の一族として美濃明智庄で生まれ、先ず美濃の戦国大名・斎藤道三に仕えたとも、越前の戦国大名・朝倉義景に仕えたとも言われています。その後義景を頼った室町幕府第15代・足利義昭とともに織田信長に赴き、信長の家臣となって丹波を攻略し、初代丹波亀山城主になります。1582年(天正10年)6月2日に本能寺の変を起こし、1582年(天正10年)6月13日に山崎の戦いで敗れ、落ち武者狩りで負傷して小栗栖で自害しました。光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後に山崎の戦いで敗れて自害したことから「三日天下」とも言われています。

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6月8日(日)

​①開催日が決まりました。11月24日(月・振替休日)です。②出演者が決まりました。

好評の原動力の「露の新治」師匠は直ちに受諾いただけました。次いで、「明智光秀」か「本能寺」の演目ができる噺家さんを追加してほしいとお願いしておきましたところ、「旭堂南慶」一門の「南和」さんに依頼していただけたそうです。上方の講談師で「本能寺」を噺していただけるそうです。若手異色の成長株です。二人の出演を実現させることは困難が伴いますが、多くの方に楽しんでもらうために協力をしていただきありがたいことです。

可児市の後援を頂き、日程の確定と使用料金の減免の手続きをしていきます。一方で、地区センターは文化センターのように備品が揃っていませんし、技術者がいません。したがって、高座の作成、音響設備の確認・自前の機器の持ち込みなどの事前確認作業があります。頑張ってやり遂げます。

​6月4日(水)
落語界の会場の確保が困難でした。秋は行事が多くてどこの施設も10月まではほとんど予約が入っていました。
やっとのことで川合地区センターの掘るを仮予約することができました。早速出演交渉に入ります。
​今回の開催を期して①1年間で市内3~4か所の地区センターで明智寄席を開催する。②開催テーマを「寄席で学ぶ明智光秀」とし落語或いは講談で明智光秀か本能寺の演目を加える。③これらを通じて各地で寄席ファンの掘り起こしと、光秀への関心を高める。④その後文化センターの小劇場で200人以上の観客を動員する本格的な「明智寄席」を実施する。⑤明智光秀公生誕500年祭のスタートプログラムを大劇場で700人以上の規模で実施する。ことが目標です。

 

6月1日(日)

釈台を作っています。3台目ですが、やっと納得がいく形になってきたかなと思っています。

講談をやってもらうには釈台が必要ですが、公共施設にはほとんど備えてありません。したがって演者の方が持参することになったりしています。

持ち運びしやすいようにと、折り畳み式の釈台を持ってくる方もあるようです。

来ていただく側からすると申し訳ないような気になり、作ってみようとトライしてみました。

​ネット情報から、①折り畳み式、②見台付、③古来式(名前がわかりません)です。

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5月31日(土)

​会場探しに苦慮していますが、あれこれ考えているといろんなアイデアが浮かんでくるもので、「塞翁が馬」の例えにある様に苦労は喜んでするもんだと思いました。浮かんだアイデアは実現するまで内緒ですが、うまくいったら、「明智光秀公研究会」のネームバリューが上昇すると思います。期待しないで待っていてください。

光秀公ゆかりの地では、可児市に先んじて光秀関連の落語会などが行われています。後れを取っていますが、いつかは追い越してみようと意気込んでいます。一例ですが、亀岡市では旭堂南鈴さんの講談をやったり、福知山市だと思いますが「ふくち寄席」をネット配信しています。さらに恵那郡明智町へは桂福丸さんが落語会にいっています。「明智光秀の生誕地」とブログに書いていますのが気になります。

​ガンバロー!

 

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5月30日(金)

​最大200名を収容できる会場を確保するのが先決なので、可児市文化創造センターの小劇場及びレセプションホールの予約状況を確認しました。いずれも予約が入っていました。1年前から予約をしないとこれらの会場を確保することは不可能のようです。3つのロフトもあるのですが、使用料のわりに使い勝手が悪いので、予約の確認はしませんでした。現在手分けして会場探しをしているところです。

会場の条件として考えているのは、〇一定の格式が感じられること、〇狭すぎず広すぎず、200名迄収容できること、〇採算が合うような使用料であること、〇なるべく利便性がよい場所にあることなどです。

秋は行事が多くあり、会場の確保が最大の課題のようです。

5月29日(木)

明智光秀公研究会の役員で5月11日に開催した「明智寄席」の反省と今後の対応を協議しました。

次回開催の要望が多く寄せられましたので、早急に実現することになりました。

次回は200名を目標に観客動員することと、研究会で作成中の「明智光秀」本の印刷費が少しでも捻出できるように頑張ることにしました。

研究会の講演会と明智寄席を、10月末日と11月末日に分けて実施するために、講師及び噺家の都合及び会場の確保ができ次第準備スタートとなります。

今回は、新たな明智寄席スタッフを加えてさらに充実させることにしましたので、随時お手伝いいただける方の募集をします。

​明智光秀公研究会のgmailに申し込んでください。 mitsuhideclub.gamil.com QRコードは下記です。

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5月11日(日)明智寄席

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